旅順東鶏冠山堡塁は旅順港の東北部に位置し、山は鶏冠に似ているために東鶏冠山と呼ばれます。日露戦争で旅順攻防戦の時、ここはロシア軍の防御線としての重要な工事で、北側を制御していました。秘密要塞で、士官室や兵舎、食堂、弾薬庫などを設けています。
旅順攻防戦の重要な戦場となり、1904年8月21日、日本軍第11師団はここから攻撃し始め、三回総攻撃しても、なかなか落とせず、最終には坑道爆破という方法を使いました。12月15日にロシア軍の陸軍防御司令官コントラチェンコ(KONTRACHINKO)少将がこの堡塁の会議室で砲撃爆死され、12月18日、日本軍が東鶏冠北堡塁を占領しました。
1916年に東鶏冠山記念碑が作られ、石など材料が日本の山口県から運んできた青いみかげの石です。堡塁廻りの構造が当時のまま残されています、砲弾・銃弾の弾痕が残っており、戦いの激しさを物語っています。
日露戦争陳列館があり、近代海軍と港の建設、日清甲午戦争、三国干渉、ロシア租借、日露戦争、ソ連軍進駐など全部写真で紹介しています。